MESSAGE

 
 
 
 

疋田万理

mimosas 理事

Noと言えない関係で起こった性行為は、性暴力です。内閣府のホームページにも記載があります。相互で同意の関係性だったのであれば、なぜ原告はこんなにリスクを背負ってまで裁判を起こすのでしょうか。なぜ被害者は複数人にも広がっているのでしょうか。ジェンダーやセクシュアリティにかかわらず、コミュニケーションをきちんと取り、相手の意見をきちんと聞き入れない限り、それは同意が取れていた関係性とは言えないと思います。未来の被害者を減らすために、立ち上がった人たちにエールを。そう思って賛同しています。

佐藤慧

Dialogue for People代表理事
フォトジャーナリスト

「ただふつうに働きたかった」、その想いを踏みにじるような、どす黒く、醜悪な暴力事件だと思う。と同時に、自己の中に存在する加害性と、自分もまた権力側であるということに対する自覚が希薄だったことに気が付き、嫌悪感を覚えた。個人の罪はもちろん贖われるべきだが、それは個人「だけ」の問題ではない。構造的な力の不均衡とジェンダー差別、その上にあぐらをかき、善人面をしながら無自覚に傷つけてきた人々のことを一顧だにしない。自分自身がまさにそうした社会構造の一部なのだと知り、どれだけ罪の意識を希釈したところで、やはり僕は「加害者」なのだと感じるようになった。しかし、そのように気づくことができた以上、変わろうとすることが自分に与えられた責務だろう。そして声をあげ続けること。傷ついた人々を矢面に立たすのではなく、加害側から変わろうとすること。ただふつうに生きていくために。

 

協力:NPO法人Dialogue for People

アサダワタル

文化活動家

反省します。気づけた可能性があったにも関わらず、これまで何もできなかったので。ハラスメントは、自己をえぐりだすテーマなのだと思います。誰にとっても決して無縁ではなく、当事者性が広く深いがゆえに、「あってはならない」と、本音では思えないのではないでしょうか?そう言ってしまうと、自分に跳ね返ってしまうから。自分自身や、自分にとって大切なたったひとりの個人の尊厳の危機に触れて、初めて、これまで過去に関わったあらゆるシーンを、「あのときの自分の違和感も、あのときのあの人の声も、そういうことだったのではないか」と振り返りつつ、この先に生かす他ない。しかし、一表現者としては、この事態に対して、言葉以外の表現にどう変換できるか、まだ答えはありません。それは法の世界でも、メディアでも、アカデミズムでも表せない、ひとの感受性、想像力に希望を託す何かです。僕は、今回声を上げた倫さんをはじめとした方々と、そういったアクションを共にできればと、模索します。

写真撮影:平林克己 提供:まえとあと

長津結一郎

研究者/文化政策・アートマネジメント

芸術は「炭鉱のカナリア」と呼ばれます。炭鉱で有毒なガスが発生した場合、人間よりもカナリアが早く察知し、そのうち鳴き声が聞こえなくなります。
芸術には、誰かがこのままじゃいけない、これではいつか痛い目を見る、と、見えていない将来をいち早く察知し、今ある常識を違う側面から見る、という力が備わっています。
ですが往々にして、なにかを察知する人は、組織の中で排除されがちです。権力を持つ者の考え方を強く押し付けられたり、危害を加えられたりすることで、芸術が育んでいるはずの力が奪われてしまうことがあります。
そこで肝要なのは、組織の内や外で行われるコミュニケーションです。
新しい視点や、うるさいかもしれない意見も、持ち寄ることができるようにすること。
正しさや、社会的な評価に基づいた同調圧力が形成されてしまわないためには、権力が行使されないためには、いったいどうしたらよいのかを、組織の側が考えていくこと。
そのことが怠られ、個々の声が蹂躙されることの悲劇を、いま私たちは目撃させられてしまっているのです。

福祉を志す、その原初にある体験は、何か。一人との出逢いや関わりで大事にしてきたことは、何か。それが失われてしまったのは、いつか。
開かれる未来で、朗々と唄っていたはずのカナリアの、その鳴き声はあなたに聴こえていますか。

みたらし加奈

臨床心理士

まだまだ日本では性暴力に関して声をあげづらい現状があると考えています。被害者は性暴力を受けた痛みだけではなく、心ないセカンドレイプに悩まされることも少なくありません。そして特に今回のような利害関係のある相手から受ける性暴力は、被害を受けた側の人たちの口を閉し、孤独へと追いやってしまう危険性だってあるのです。お酒を飲んでいても、好きな格好をしていても、誰かから暴力を受ける筋合いなんてありません。声を上げてくれた原告の方々に敬意を表するとともに、味方であることを表明させてください。

横田千代子

婦人保護施設いずみ寮 施設長

権威をかざしたあからさまな性暴力…しかも福祉の分野で! 絶対に許されることではない! 私は婦人保護施設という福祉分野で働いている人間です。女性への人権侵害の無い社会を目指して闘っています。日々闘っています。だからこそ、今回の事件は、絶対に許せないのです!暴力の中でも性暴力は、「自分らしく生きる」ことを奪う犯罪です。婦人保護施設にたどり着く多くの女性たちも同じ苦しみの中に置かれてきています。今回も被害によって苦しむお二人の姿が浮かびます。施設利用者の加害者は、父など近親者をはじめ、様々ですが、今回の事件は、その加害者が社会福祉法人の理事長なのです。信じられません!許せません!しかも、長期にわたり君臨し、支配し、侵害してきたのです。その事実を周囲の人は気づいていた、いや、見逃してきたのではないでしょうか?重大な社会問題です!今、私の中に次々に湧き上がる怒りを込めて、法人・理事長への早急なる裁きを求めます。

末安民生

一般社団法人日本精神科看護協会 相談役
岩手医科大学 看護学部 地域包括ケア講座 教授

訴えた人の支援のため、もどかしいが、訴えられた人と私の話をする

今回、提訴した原告の2人を「信頼できるキュレーター」として私は知っている。
その1人である木村倫さん(仮名)は、突飛な発想なのにどこか柔らかな、そして穏やかな心持ちのアール・ブリュット作品を、ときに軽快なリズムにのせて、いつのまにか壁にピンでとめたり、まるで飛び出す絵本のように広げたり反転させながら、私たちの目を楽しませ、作品に向き合わせてくれる人である。作家たちの息遣いや情念と情熱は、木村さんらの手によって多くの聴衆に記憶され、作品として記録される。そして、その展覧会に立ち会った私たちはその出会いによって、存在を知らなかった作家とまるで繭の糸をつむぐように繊細につながる。実際には、展覧会にいない作家たちが作品を通して会場で物語る声を、観客である私たちは聴くことができた。展覧会の数々は、まるで地上の星座のようにその所々で明るい光を放ち、私たちはその星の光を手がかりにして作家の世界に触れ、明るい気持ちに満たされた。

そのような作品や作家と一緒に歩んでいる木村さんが訴えた被告である北岡氏のことを、私は木村さんを知るよりも前から知っている。精神科領域の看護師である私と、被告である北岡氏はともに支援職という共通基盤があり、それぞれが所属する分野のリーダーの1人として、厚生労働省の社会保障審議会障害者部会において検討委員として出会った。
その後、北岡氏らによって私はアール・ブリュットの魅力を知り、全国の看護師に呼びかけて精神障害者による作品を探した。その過程では、北岡氏と2人で精神科病院に埋もれている「作品」を探す旅をしたこともあった。知的障害と精神障害、専門領域は異なるものの、2人とも自分を含む「人々」と「障害者」とを隔てている現実と法律や生活支援施策の不備に怒り、一方で自分たちも彼らを隔てている側の一員であることを忘れないようにしようと話したこともあった。私は、隔たりをなくしていくために戦い続けている人として、北岡氏に敬意を払ってきた。その後悔は、一身に引き受けるしかない。

今回の提訴を知り、信頼しているキュレーターである木村さんがその当事者となっていることに驚愕した。報道で公開された木村さんらに対する北岡氏のおぞましい行動と長きにわたる経過を知り、木村さんからも直接に話を聞いた。
現在、ほぼ無口になっている被告らは無罪を主張するのかもしれない。合点がいかない。私が知っている北岡氏とその所属団体である社会福祉法人グローの幹部職員は「行動の人たち」である。私の知る限りにおいても、北岡氏は政治家と気脈を通じるのが上手かった。海外の要人を含む政治家や官僚、いわゆる著名人とも浅からぬつながりがある。このような北岡氏の存在感と、他者との関係性によって得られた地位は、彼の行動力によるものである。私は短い期間ではあるが、国会議員秘書をした経験があり、複数の政党の政治家と直接にかかわる機会があった。だから、政治家の本能と権力を維持するためには正義という価値判断が無化されることがあるというのも知っている。であるからこそ、北岡氏は行動力を起動して説明すべきである。周囲の人たちも直ちに「北岡賢剛理事長の無実を証明する会」を立ち上げるのが道理である。ところが、そうはなっていない。なぜなのか。それどころか、国会審議に急かされるように国の検討会の委員を辞した北岡氏の無実を主張する人が、なぜ出てこないのか。
北岡氏の周辺の人たちは「嘘は山を転がる雪玉のように大きくなるばかりだ」と無意識に思っているのではないか。北岡氏の地位や行動力の本質は疑われている。実は否定してしまいたい、誰かが「王様は裸だ」と言いださないかと待っているのではないか。誰も言い出さなければ、嘘は嘘によって塗り込められ、いつか重ね塗りができなくなってしまうのに。

木村さんらへの理不尽極まりない行動は、北岡氏が地位を悪用して、自分の欲望を充足するために彼女たちを支配しようとしたものだと確信した。私はこれまでの北岡氏とのかかわりを振り返り、いったい自分は北岡氏の何に敬意を払っていたのかと自分自身に怒りがわく。それとともに、彼の暗い二面性に気づかされて、今ではその存在に恐怖を覚えている。木村さんらの訴えは2人だけに降りかかった問題ではなく、形を変えて私も支配の対象とされていたのかもしれないと思える。私は、精神障害者の支援を続けてきた。壁にぶつかったときには、周囲の人たちに助けられながら乗り越えてきた。ときに、自分の限界をさらけ出して助けてもらってきた。今、木村さんは自分の身を挺して、私のように気づかずに北岡氏の支配下におかれた人や、緩慢な暴力ともいえる管理に縛られた人がいることを知らせてくれてもいる。私たち以外にもいるかもしれない被害者がこの裁判を自分の事として受け止めることができたら、勇気をもって戦う木村さんらと一緒に行動を起こすことができるはずだ。もしそんな方がいたら、苦しみに耐えながら毎日仕事を続けているとしたら、ぜひ、この会に声を届けてもらいたい。

 


 

Patrick Gyger[パトリック・ギゲール]

スイス・ローザンヌ芸術地区プラットフォーム10総合館長

フランス国立現代芸術センター「リュー・ユニック」 館長(2011-2020)

日本では数多くのパートナーと働いてきました。特にアール・ブリュットの分野では多くの組織や団体と長年の協力関係を築き上げています。 芸術は社会をより豊かにすると私は信じています。 なぜなら、芸術は文化や視点が異なる人々を結ぶ力があるからです。人間として生きる多様性、他者の視点を体験・体感させてくれるのです。 私はこの社会のすべての人々にとってより明るい未来を信じ、この組織の活動に賛同します。 差別・性的暴力とハラスメントを日本から無くそうとしているこの人々と共に私も声を上げたいです。 差別・性的暴力とハラスメントは人権侵害です。人々の尊厳を奪うこれらの行為に決して見て見ぬ振りをしてはいけません。 芸術家、作家、芸術関連でのお仕事をされている方々は特に、社会の価値観をアップデートする大きな力を持っていると考えます。 ジェンダー・バランスが取れたより明るい未来を想像し、それを創造していくリーダーたちになれる、と。 「同じ人間である」というただそれだけの理由でお互いの尊厳を(性別や性的指向など関係なく)守ることができるのが人類の理想の形ではないのでしょうか? 今後も日本とヨーロッパの文化交流に努めていきながら、刺激し合う関係を作っていきたいと考えています。 その先にはジェンダー・バランスが取れている世界がある事を願って。

Photo Mario Del Curto

東ちづる

俳優/一社)Get in touch 代表

セクハラは、自分が対等な人間としてではなく、単に性的な対象として扱われ、卑下されていることを刷り込み、精神的にも身体的にも大きなダメージを与えます。今回のケースも、その痛みが癒えるのにどれほどの時間がかかるのか想像を絶します。記事を読むだけでも、辛い。どれほど屈辱だったか、情けなく、腹立だしく、悔しかったか。
加害者はもちろんのこと、その状況を容認してきた人たちも同罪です。女性差別と人権侵害の罪の重さを真摯に受け止めてほしいと思います。自分の家族や大切な人が同じような目にあったら、尊厳を踏みにじられたらと、想像してほしいです。そして、心から謝罪してほしいです。少しでも被害者の心が癒えるように。
そして、同様の犯罪を根絶していくためにも。

中津川浩章

画家/美術家/アートディレクター

世の中には理不尽なこと、不条理なことがたくさんある。

言葉にできない怒りや悲しみがあふれているのがこの世界だと思う。

だがセクシャルハラスメント、パワーハラスメントを一般化することは到底できない。暴力を容認することなど絶対にあってはならない。

被害はその時だけではないのだ。言いようのいない恐怖と屈辱、無力感。訴訟にたどり着くまでに費やされたあまりにも多くの時間。

想像してほしい。もし自分が、もし親しい人がその被害者であったらと考えてほしい。

そして今回の事件はまさにそのように傷ついたり病にある人たちを支援する社会福祉法人で起きたことなのだ。ハラスメントをした側の個人への責任追及は徹底して行われなければならないのと同時に、組織内部での自浄作用が働いていない構造的問題にも厳しい目を向けなければならない。

障害がある人たちのアート活動を推進しようとする現場に携わってきた者に起きたこのハラスメントに対し、同じく福祉・障害者アートに関わる人間として怒りを禁じえない。訴えを起こしたお二人の勇気と行動力に最大限の敬意を払うものである。

松岡宗嗣

一般社団法人fair代表理事

性暴力やハラスメントは、その背景にある既存の社会構造によって維持、強化され、場合によっては一つひとつの被害がなかったことにされたり、軽視されてしまっていると思います。社会福祉という、特に人間の尊厳について専門的に考え、取り組む領域だからこそ、絶えず権力の構造を捉え直し、率先して性暴力やハラスメントをなくしていくために行動すべきだと考えます。立ち上がった原告の方々に敬意を表すると同時に、立ち上がらなければならない社会の現状について、同じ社会を生きる一人の当事者として責任を感じます。構造を変えていくためには、一人ひとりの”声”が重要です。一方で、サバイバーだけにその役割を押し付けず、その周りにいる人だからこそできることもあると思います。微力ではありますが、自分にできる一歩としてこの有志の会に賛同します。

廣川麻子

演劇人(俳優・制作・観劇支援)

人も尊厳を持って働く。 そんな当たり前のことが、できていない現状があることを知った。 ハラスメントは誰でも起こしてしまう可能性がある。もちろん私も。 だからこそ、意識して、なかまの尊厳を守る。 これは、そんな私の、ささやかな宣言である。

仁藤夢乃

一般社団法人Colabo 代表
社会活動家

性暴力は、相手が抵抗できない状況や立場を利用して行われる構造的な暴力だ。加害者は、相手や場所を選んで加害するが、「愛成会」と「グロー」では、複数の関係者がいる中で性暴力が振るわれたり、女性蔑視のからかいが日常となっていた。組織全体が性暴力を容認し、加害者が加害しやすい状況を作っていたからだろう。 これは、「愛成会」と「グロー」だけの問題なのだろうか。 被害者が声を上げ、被害が明るみに出た今でも、被害者の上司や組織幹部が、性暴力を加害者の「自分らしさ」や「個性」だと言ったり、「長く続くセクハラはない あるとしたらそれは不倫だ」と言えてしまうのはなぜだろうか。 それは、女性をモノ化して扱ったり、性的に消費したり、性的な「からかい」をすることが日本社会全体に日常的に広がっており、文化であるかのようにすら捉えられる状況があるからだろう。 私たちは、性暴力が起きる構造を学び、加害者の手口を知る必要がある。 性暴力が起きたとき、見ぬふりしたり、やめさせるために行動しないことは、加害に加担することそのものである。 被害者が前に立ち、声を上げ続けなければならない社会はおかしい。私たち一人ひとりが、性暴力や女性の人権が蔑ろにされる現状に対して声を上げ、自分から変わることで、この現状を変える力となる。私も、声を上げた方々に連帯します。

井出意作

社会福祉法人 小諸学舎元理事長

社会福祉法人「グロー」の北岡賢剛元理事長のセクシャルハラスメントで、元職員が地裁に提訴したというニュースに、その加害者に対して怒り心頭である。北岡理事長は他の社会福祉法人「愛成会」の理事やいくつかの責任ある立場にあったとのこと。本人が法的に裁かれるのは当然のこと、そればかりでなく、関係法人の体質も問われ、強いては全ての社会福祉法人が問われている。さらに言えば社会全体が問われ、私たちひとり一人が問われている根の深い事件である。

 

被害者の二人が提訴した勇気と決断に、まずは心からの敬意を表したい。しかし、被害者であるこの二人の心中は私が推し量ることができないほどの苦しみであろうと思えば、言葉を失う。特に、この二人の内のひとりは、彼女の幼い時から私が知っていた人である。彼女は障害者支援施設の現場で良い働きをし、さらにアールブリュットへの情熱を注いできた人である。私は、その働きに感服してきたのであるが、被害に遭ってから10年もの間、その苦しみを抱えてきたとはつゆ知らず、過ごしてきてしまった。被害に遭ったご本人ばかりでなく、彼女らの親たちの心情も如何ばかりかと思わされる。私も娘を持つ親であるが、このような被害を被った親の怒り、悲しみを思う。加害者は、それらの怒り、悲しみを知り、懺悔すべきである。ところが、未だに理事の座にあるとは呆れるばかりである。

そもそも、障害者福祉に関わる者は、鋭い人権感覚を持ち、障害のある人たちへの支援をなし、差別や蔑視がある社会に変革を求める立場にあるはずである。理事長や施設長は、職員を導く責任がある。にもかかわらず、自分の力を誇示し、職員に服従を押し付ける。まさにパワハラである。その思い上がりがセクハラを引き起こす。さらに、権力を持ったと勘違いするばかりでなく、自己顕示欲が強く、同時に被害者意識もある場合、加害者であることを認めないということが起きる。北岡元理事長には、その傾向を感じる。

 

私も、施設長・理事長という責任ある立場にあった時、セルフコントロールを意識し、たえず自戒することを己に課してきた。法人も、確かな理念を持ち、施設長・理事長の選任について正しい選択ができるよう、たえず、法人運営に関わる評議員・理事・監事などの意識を喚起しなければならない。その観点から、社会福祉法人「グロー」は今までも機能してこなかったのではないかと思わざるをえない。改善を期待したい。

細金和子

社会福祉法人 慈愛会理事

一般社団法人 Colabo理事

「男性がつくってきた社会で働くなら、これくらい我慢しなければと思ってきた」という被害者のことばに、胸が苦しくなります。どれほど多くの女性たちが、自分の仕事を守るために、社会に貢献するために、性暴力にさらされてきたでしょうか? ジャーナリストも教師も研究者も、、、伊藤詩織さんの告発をきっかけに、日本にも声をあげられなかった女性たちからMe Too!の声が上がるようになり、多くの被害者を勇気づけています。今回声をあげられたお二人も、同じような被害を受けてきた人たちに励ましを与えるに違いありません。

社会福祉の現場を支えている多くのエッセンシャルワーカーは女性ですが、管理運営の中心は圧倒的に男性で、福祉の分野も男尊女卑の感覚に支配されてきたと思います。報道によれば加害者は、障害福祉の分野では社会保障審議会障害部会の委員を務めるなど、国の障害福祉の方向づけや制度施策の策定にも関与してきたということです。職員に対するパワーハラスメントがあった事と合わせて、この人物への社会的評価も周囲の見て見ぬ振りを助長し、問題解決を遅らせたと思われます。まさにこの社会の構造的な問題です。

加害者はおそらく「障害者の人権の確立」には寄与してきた人物なのでしょう。しかし、こうした事実を知って気になるのは、福祉を利用する側にいる女性たちのことです。支援を受ける側にいるために、福祉の場でハラスメントを受けても声をあげられない、明るみに出ない被害が少なからずあるのではないでしょうか?いくつかの顕在化した事実から、その後ろにあるであろう多くの被害を知ろうとしなければならない。今回の事件が起きた障害福祉の分野で言えば、「障害者の人権」が確立されてきた歴史の中で、「障害女性の人権を守る」視点は確かにあっただろうか?と、ここで問い返さなければならないと思います。

 

そしてすべての福祉の分野で、「女性の尊厳と人権を守る」視点からもう一度、そのあり方を見直す必要があると考えています。

安積遊歩

ピアカウンセラー

全ての命に尊厳を

性暴力。この忌まわしいことが自分の身にも起こったことに気づくまでに、長い時間がかかった。私は、易骨折性の身体をもち、幼い時から過酷な治療という名の暴力を受けてきた。その中にあった性暴力は、X線技師、理学療法士、そして医師からのもので、幼い私には、それが性暴力であるとは全くわからなかった。しかし、今思い出しても、心が凍りつくような不快感と言葉にできない混乱を感じる。

ところで、私が出会う男性一人一人と親しくなれるかどうかを判別するために、この体はある意味、有効でもある。女性をセクシャルオブジェクトとしてしか見ない人にとっては私は女でもなく、人間でもないと見ていると感じられる身体。


女性は、特に障害を持っていたり、老いていたりする女性も様々な性暴力を受けている。そしてもちろん、幼い女性と若い女性には容赦ない性暴力が向けられている。それはあらゆる現場にあるにも関わらず、医療や教育、そして福祉の現場でその犠牲になっている人たちが立ち上がるには、どれだけの勇気が必要であることか。それらの現場は、命を守り育むための現場であって、そんなことは起こり得ないという幻想がある。

そんな中、ついに、被害者の2人がその幻想を打ち破るべく立ち上がってくれたこと。幼い私が心から喜び、大人の私は応援できることはなんでもしたいと思っている。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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